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私、佐久間將(サクマススム)は、1954年建設業を営む父:実、母:チエの長男として新潟県新潟市に生まれました。
その頃の我が家は、建設業社でありながら、雪が舞い込む狭い平屋建てに住んでいました。 |
立ったままで歩けないような中二階が、父母の寝室。そして、ワラ布団にワラの枕・・・このような貧しい生活を送っていました。
そんな状況でも、私の両親は建設業に誇りを持って取り組んでいました。 |

三人兄弟の長男が私です。
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このような両親のもと、私は子守唄の替わりに、建築用語や職人の歌を聞きながら育ったのです。
物心がついた頃には、片手にノコギリ・片手に木を持ち、遊びといっては、犬小屋やイスを作ったりしていたのです。そして、同級生には、『将来お前の家は俺が建ててやる!』と、公言をしていました。
そのため、私は、将来建設業界で働くことに何の疑問も持たず、そのためだけの勉強をしてきました。
小・中・高・大学と、建築に関することだけ頭の中に入れ、立派な建設バカと呼ばれるようになっていました。
1978年、オイルショックの影響で日本の建設業も低迷、ジワジワと経営にプレッシャーがかかるような時代に、父親の会社である佐久間組に入社します。
私の建設業人生はここから始まったのです。
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| 私が入社した当時の佐久間組は、既に家族会社ではなくなり、ゼネコンと呼ばれる建設大手会社の下請専門の工事業者となっていました。
そのため、お客様の笑顔が見える仕事をしたいと考えていた私も、新幹線のような大規模工事を手がけることになったのです。
そんなことに疑問や不満を感じながら仕事を続けていた入社10年目のある日、父が「このまま下請けを続ければ倒産するしかない・・・」と頭を抱え、突然打ち明けてきたのです。
そして、3日3晩寝ずに出した結果が、リストラだったのです。
当時の社員の皆さんには本当に迷惑をかけました。
誰も居なくなった事務所の隅で、すまない気持ちと今後の不安に悶々とした時を過ごしました。
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| リストラをおこなってから5ヶ月、ある社会保険労務士さんからの助言でようやく吹っ切れたでのす。
「現在、建設業の7割が赤字。良くなるも、ならないも経営者の気持ちとやる気次第じゃないの・・・。」この言葉をきっかけに、自分が佐久間組を建て直し、苦労を掛けた人たちに笑顔を取り戻してやりたいと、再建に取り組む決意をしたのです。
再出発は、私と女房、弟そして入社したばかりの社員4名からの出発でした。
覚悟を決めた私達は、依頼された仕事は寝る間も惜しんで、すべてやり遂げていきました。
そして、少しでも空いた時間は、お客様に喜んでいただくために仕事の改善や開発に費やしてきたのです。
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| 平成の時代に入ると、地元での公共工事量の増加もあり、順風満帆とまではいきませんがなんとか安定した会社経営ができるようにまでなりました。
そんな状況で慢心をしはじめていた、2005年の年末、耐震強度偽装問題が日本全土を震撼させました。
信じていた業者に裏切られ、買ったばかりの我が家を失った方々はいったいどんな思いをしているのだろうか。
私は、真相を確かめるべく、直ぐに現場に行きました。そこには、顔色を無くした住人達が、マンションの前で呆然と立ち尽くしていたのです。
私は、建設業に携わるものとして、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。
さらに、地元新潟市では官製談合が発覚するなど、県民や国民からも建設業界への不信、バッシングはますます強くなっていったのです。
正直さだけはどこにも負けないという自負を持ってこの業界でやってきた私には、この世の中の動向が悔しくてなりませんでした。
自分も悪徳業者の一人として見られているのではないか。
そう考えると、怒りさえこみ上げてきました。
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| これらの事件のあと、私は会社の現状と自分にできることを改めて見つめ直しました。
そして出した結論は、『お客様に嘘をつかない誠実な会社をつくる』ということでした。
そして、今の自分の生き方や考え方を素直にお客様に伝えることのできる住宅建築をやるということを決めたのです。
この決断には、非常に勇気が要りました。
なぜなら、住宅建築はお客様一人一人の要望に対し、細かく対応していかなければならないという厳しさがあります。
公共工事を主にやってきた私たちにとっては、非常に難しい仕事です。
しかし、その厳しさから逃げていては、お客様からの喜びの声も笑顔も貰えないと気づいたのです。
そして、自分の考えを発信することや活動にすることで、お客様に喜ばれ、小さな輪かもしれませんが、建設業界を誇りに満ちた業界にしていきたいと思ったのです。
それにはまず、佐久間組が誇れる会社になることが小さな一歩であり、一番の早道なのだと思います。
家づくりをおこなうことを決めてからは、物心がついた時からの夢、そして友達に公言した約束を叶えるために取得していた「一級建築士」という資格も、住宅建築に向かうモチベーションを大いにあげてくれました。
そして、時間があれば続けてきた商品開発の成果もいよいよ表舞台に出すことができるようになったのです。
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| そして、お客様に住宅建築を提案するにあたり、3つの約束をつくりました。
なぜなら、会社として使命を貫くためにはもちろん全社員との共通認識が必要だからです。
そこで、私が掲げた3つの約束は
1. フェアープライスの住宅を提供すること。
2. 悪しき業界の常識を打ち破ること。
3. 家づくりの基準を分かりやすく示すこと。
1つ目は、お客様に住宅の適正な価格を知ってもらうこと
2つ目は、お客様に透明でわかりやすい業界をつくること
3つ目は、お客様に家づくりの基準を分かりやすく伝えること
私達は、この3つの約束のもと、お客様のための住宅づくりをはじめたのです。
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いい家は、私たち業者が誠実に真剣に施工すれば済むことです。
しかし、どうでしょう? 世の中にはいかに多くの方が家づくりに失敗され、悔やんでいることか。
正直、私は建設業しか知らない不器用な男です。
しかし、その分建築の業界では、誰にも負けることはできません。
私が幸せにできるのは、日本の中のほんの一部の方々かもしれません。
しかし、そのほんの一部の方々だけは笑顔で安心して暮らせる住環境を提供することをお約束します。
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私たちが皆様の味方になります。
どうか面倒がらずに、当社の見学会を体験してください。
そこからすべてが始まるのです。
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